とうまのプロフィール

生活

はじめまして。

ブログの運営者とうまです。
たくさんの中から、このブログを見てくださりありがとうございます。このページでは、私のプロフィールについて書いてみたいと思います。
後半では、なぜブログを開設しようと思ったかも書いています😊

このブログは、ワーママの「とうま」が運営しています。
世界で一番忙しいと言われているワーママが、仕事や子育てを「今よりもっとご機嫌に」するために、私自身の体験を交えながら、情報発信をしています。

・38歳
・東京在住
・子供は3歳と0歳(3カ月)の姉妹
・結婚して10年以上の不妊期間あり
・網膜剥離で失明しかけた経験あり

・15000人以上某大手勤務14年 フルタイム勤務の総合職 元副編集長
 マネジメント経験を通じて100名以上の働く女性の生き方、考え方に触れ、
 「個の強みを生かすこと」を最も大事にしています。

・第一子の育休中に、国家資格キャリアコンサルタントを取得
・第二子の育休中に、ブログを開設

がむしゃらに働いた20代。自由を謳歌した生活。

20代の私は、とにかく朝から晩まで働いてました。ビジネスの仕組みを学んだり、お客さんの課題を解決したり、喜んでもらえるのが嬉しい・楽しい・新鮮でした。

一緒に働く仲間たちと飲むのも大好きで、終電で帰ることもありました。稼いだお金は、大好きな友人や家族との旅行や食事、洋服や海外旅行、外食などに惜しみなく注ぎ、仕事は面白いし、稼いだお金は自由に使えるし、働くっていいなぁって思ってました。

結婚は26歳でしたが、お互い働いているし、自由に暮らしていました。ところが、30代に突入して間もなく、元気だった父から、突然「末期がん」で余命宣告に合いました。

とうま
とうま

余命は5年。今、自分が出来る親孝行をリストアップして、父との時間を過ごしました

地獄を見た30代で変わった価値観

父が、がんになったのは、定年退職して間もなくです。こんなにも早く親がいなくなるのかと、ショックすぎて涙が止まりませんでした。そして、私は父に自分の子供を見せたいと思うようになりました。

不妊治療を開始

3年間、妊活を頑張るも、毎月来てしまう生理。夫婦で何度も話し合い、私たちは、不妊治療専門の病院に行くことにしました。

そこで、言われた痛烈な一言。
医者:「あなたの子宮年齢は55歳です」

銀座の超一等地にある不妊クリニックからの帰り道の光景が今も忘れられません。
子宮内膜症・黄体機能不全。子どもを作れないかもしれないとい絶望感と夫への申し訳ない気持ち、そして、父にも子供を見せることはもう無理かもしれないと、泣きながら帰ったのを覚えています。

これが、「自分の体を酷使した結果なのだな・・」と痛感しました。

一方で、キャリアは着実UPし、年収も上がっていきました。最初はそれが嬉しかったけれど、当時の私は、とにかく必死で余裕がなくて、辛かった。不妊治療との両立は特に難しくホルモン剤の影響で気分の浮き沈みも激しかった。

●子どもが欲しいという気持ちと、仕事がしたいという気持ちどちらかを優先せねばならないのか
●神様は、自分には子どもを育てられないと言っているのだろうか。
●子どもを授かれなかった場合、どんな人生を歩むのか

自分達の状況や、様々な感情を受け入れながら、自分の未来、私たち夫婦の未来について整理し始めていきました。

病院に通い始めて1年後、今度は網膜剥離に。

不妊治療中に、突然の網膜剥離を患いました。医者からは、「手術を待っている間に失明してしまうかもしれません」と言われ、震えました。目が見えなくなってしまったら私はどんな人生を送るのだろう、家族や友人の顔や、景色が見えなくなってしまったらどうやって生きて行けばいいのだろう。

考えたくない事ばかり頭をよぎり、眠れなくなってしまいました。たくさんの検査を受けて、即緊急手術となりました。メスと注射が眼球に向かってくる状況、これもまた、地獄で、「先生、怖い・・・こわーーーーいいいいいーーーー」と叫び泣きながら手術を受けました。

素晴らしい名医との出会いがあり、目は完全に見えるようになりました。


視野が欠損していること(病気の進行)に気付かなかった自分。不妊も、網膜剥離も、体からはサインが出ていたはずなのに、見逃してしまうほど余裕がなかったこと・自分の体に無頓着だったことに反省しました。

自分の生き方や考え方を見直そう

父も、ガンが発覚する数年前から、病気の兆候が出ていたのにも関わらず仕事を優先し、体から出ていたサインを無視し続け、ごまかしてきた結果の末期がんでした。私は、30代の経験を通じて、自分の生きる上での価値観が大きく変わりました。

自分の体を守れるのは自分しかいない
人生は1度しかないし、父のように意外と短いかもしれない
もっと自分の健康と、自分のご機嫌や幸せを追求することに振り切った人生を送りたい。

とうま
とうま

これが人生の転機なのですかね

優先順位や目的が明確だと、とてもシンプルで、思い悩んでいたことが解消されていきました。
そして、こんなにも生きやすいのかということを実感しました。

そして、待望の妊娠&出産

奇跡の妊娠の末第一子を出産。無事、父に子供を抱かせることが出来ました。小さな手で、父の指を握る我が子を見て、この子の命を絶対に守り抜くことを誓いました。

その後、ワーママデビューの後、第二子の奇跡の妊娠&出産で現在に至ります。

時間に追われる毎日。もっと子供と向き合いたい。

子供ができてからの私の生活は激動でした。私自身も、「ワーママライフを楽しむぞ!」と意気込んで復帰したのもつかぬ間、朝起きてから、夜寝るまで、髪の毛を振り乱し走る。時間がない&仕事に追われる毎日で、体力的にも精神的にも疲れていきました。

17時には仕事が終わってなくても切り上げて、保育園に迎えに行き、ご飯を作って、お風呂に入れて、歯を磨いて・・、寝かしつけながらそのまま寝落ち。

頑張ってるのに、手ごたえを感じない。仕事で何か考え事があると、育児や家事中も頭の片隅から離れない、家事もたまってイライラするし、「早く」「早く」とせかしてしまう。余裕のない自分にも腹が立つ。思い描いていた理想の子育てとは、かけ離れていました。

とうま
とうま

辛く苦しい不妊治療を経て、やりたかった子育ては、本当にこれでいいのかと思うようになりました。

自分を変えたいと思って、抜本的に仕事のスタイルを変えたら、1年で、効率も成果も劇的に上がりました。起こっている事象に反応するのではなく、事実を整理して解決すべき問題を解いていけば、必ず時間は生まれるし、それを繰り返していけば格段に仕事のスキルは上がります。

まだまだ理想の子育ては遠いですが、それでも前進している実感はあります。(詳細はまたブログでお話ししますね)

私は、母は賢く仕事して、今しかない幸せな子育て時期をもっと楽しむべきだと強く思っています。
しっかり稼いで、子供とたっぷり向き合って、幸せな人生を一緒に送りましょう!

なぜblogを開設しようと思ったのか

自分の友人や、会社の後輩のワーママは、みな同様に悩んでいます。
子供のこと、仕事のこと、旦那のこと、それぞれの悩みを抱えながら、必死に目の前を生きようとしています。(自分も)

でも、自分の目の前に広がる光景が、いつまでも続くことはありません
限りある子供たちとの日々をもっと大事に過ごせるように
子供が巣立った後も、自分の生きがいとして何かしらの仕事をし続けられるように

ブログを読んでくれている読者の皆様に、自分の経験や体験を発信することで、何か役に立てないかと思ったのがきっかけです。


ワーママとして忙しかった時代を振り返った時に、
「最高だった!」と言い合うのが夢です。

とうま
とうま

仕事はより少なく、そして賢く、効率よく。

最後まで読んでくださりありがとうございます!共働き世帯のパパ、ママが、愛する我が子に、時間と心の余裕を捧げられるように、皆さんと一緒に頑張りたいです。応援よろしくお願いします😊

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某大手企業14年勤務、総合職フルタイム。元副編集長/キャリアコンサルタント。 もうすぐ40歳のワーママ(4歳、0歳) 東京下町に住んでいます。 キャリアではなく、私の人生を生きるために、子育てと仕事のHOWを考えます。もっと楽に、楽しく生きられないかを模索中。試行錯誤の日々を発信します。会社員+個人事業主を併用した働き方を模索中です。
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